Posted on 2019/07/07
JIROKICHIの歴史について書いてみようと思うものの、2014年JIROKICHIが40周年の際に出版された書籍★『ジロキチ・オン・マイ・マインド』にそれまでのことは大方集約されています。ここでは、その書籍を作る際に集められた膨大な資料から、書籍に使われていない写真とエピソードを紹介していきたいと思います。
JIROKICHIの外観 現在から遡って
2019年現在:「じろ吉」の看板は、70年代開店初期からあるもの。先代ジロキチのマスター(ジロマス)の手彫り。2~3年にいちど、スタッフでペンキを塗り直しています。ジロキチは、開店当初から現在までの外装から内装まで、ほぼほぼジロマスとスタッフの手作りなのです。
90年代後半~:ほぼ現在の様相。少しだけ80年代の残りでネオン管がみえます。写っているのは、ベーシスト ポール・ジャクソン(Paul Jackson)氏の後ろ姿と、ジロマス。入り口の中にいるのはおそらく…ギタリスト 塩次伸二氏かと思います。
80年代:ネオン管がいかにも80年代な様子。電話番号がお店の外観に…。公衆電話もありました。
70年代後半:写っているのはシーチャン・ブラザーズのリーダーでありドラマーの井上茂氏。屋根というか、バルコニー?のようなものがあります。あそこにあるプランターの植物は雨水で育てていたのでしょうか。
1976年(開店から2年目):第1回次郎吉泥棒公演「生聞」のポスターが貼ってあります。1976年6月27日に大映調布スタジオで開催されたJIROKICHIの店外コンサート。出演は、シーチャン・ブラザーズ、渡辺貞夫、ウエスト・ロード、憂歌団。
1975年:おそらくこれが一番古い、入り口の写真。開店から2~3か月頃でしょうか。左からジロマス、わたし、シーチャン・ブラザーズ井上茂氏。
おまけ:1976年お正月。左から母、ジロマス、わたし、近所のお姉ちゃん、祖母。漢字の「次郎吉」の看板がみえます。これもジロマスの手彫り。後ろに見える窓は、当時不動産屋だったときいています。(現在セブンイレブンの場所)
以上
外観の移り変わり、でした。
bookmark:
★『ジロキチ・オン・マイ・マインド』